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カフェ・ブランシュ

マネージャー
向井大祐 さん

ホテルニューオータニを皮切りに修業。
サービス主体のフレンチ店を目指す!

季節の木々や花々が咲き誇る庭と白を基調にした店内でフレンチやこだわりのカフェを気軽に楽しめる安佐南区の「カフェ・ブランシュ」。カジュアルなランチから記念日、大切な人とのちょっとしたひと時まで…優しい雰囲気を演出するマネージャーの向井大祐さんの飲食業への想いとは?…ジャックが聞かせていただきます

飲食の世界に進まれたきっかけをお聞かせください

向井さん

1967年京都生まれですが、転勤族だった父の仕事の関係で大阪、広島、千葉、東京などを転々としました。広島は、祇園中学校~祇園北高校の一期生として多感な青春時代を過ごした思い出深い場所です。高校の途中で父の勤務先が千葉となったため、馴れ親しんだ広島を離れて現地の高校に転校したものの、新しい学校には馴染めませんでした。学校へ行くのが面白くないので、時給430円のファミレスのアルバイトに精を出すことに。最初は洗い場からでしたが、ホットケーキを焼いたり、調理も手伝うようになると、パートのおばさんに手際の良さを褒められ、最後はホールの仕事まで全部任されました。

当時の千葉、浦安はディズニーランドの開業前で空前のホテル建設ラッシュの頃です。高校卒業を前に、近畿日本ツーリストに勤務していたので業界事情にも詳しい父から「お前は飲食業に向いているかもしれない。ホテルに就職したらどうだ?」と勧められました。自分もその提案に異存はなく、卒業後の進路に選んだのが東京YMCAホテル専門学校ホテル科です。結果的には、この選択が飲食の世界に飛び込む第一歩になりました。

取材に応じてくださる向井さん、飲食店の接客のプロフェッショナルでいらっしゃいます!

ホテルの専門学校とは珍しいですね。どんな様子でしたか?

向井さん

ヘアスタイルは“七三刈上げ” が当たり前という、この専門学校は人呼んで「ホテルオークラの予備校」。学生は、“通学社員”と呼ばれ、昼間は寮から学校に通い、夜は現場で働くのがしきたりでした。わたしは東京港区の「芝パークホテル」に配属され、ホテル内のフランス料理の店で働くほか、フロント業務やルームサービスなど、ホテルマンの基礎を学びました。卒業後は、そのままこのホテルにお世話になる予定だったのですが、ちょっとした手違いでご破算となったところ、なんと「ホテルニューオータニ」に就職できたんです。

20歳になり、津田沼に家を借りてホテルまで通勤する生活がスタート。ニューオータニでは、ポリネシアン料理やカクテルが人気で芸能人や世界中のVIPが集う一流店「トレダービクス」にgarcon(ギャルソン)として配属されました。飲食物の提供とメニューの説明で、丁寧な言葉遣いなど基本的な接客スキルが求められる仕事なので、料理を運びから伝票を出すタイミングまで、みっちり仕込まれたものです。

大手ホテルや有名レストランでギャルソンとして長く働いていた経験をお持ちです

一流店で経験を積まれていた向井さんが広島に来られた経緯は?

向井さん

ニューオータニでの仕事にも慣れた21歳の終り頃、中学時代の親友のお母さんが亡くなり、広島での葬儀に参列することになりました。わたしが所属していた吹奏楽部の仲間が30人以上集まり、落ち込む親友を慰める光景をみていると、「やっぱり広島がいいな。この地に帰って来たい!」という思いが募るばかり…。東京での生活に別れを告げ、広島へUターンすることを決め、早速、仕事探しに取り掛かりました。もちろん、ホテルを志望して転職先となったのが「広島ターミナルホテル」(現ホテルグランヴィア広島)です。

入社後は、ホテル内の人気フレンチレストラン「リビエール」に配置され、サービスマンとしても料理の仕組みやソースの研究など、フランス語で書かれた“料理用語辞典”を紐解きながらフランス料理を基礎から勉強することができました。

向井さんが作る「マキュアート」は優しいテイストで子どもたちにも人気です

ほかにも開業するまで、どこかのお店で修業されましたか?

向井さん

ホテル業界で“ビュッフェスタイル” が流行し始めると、サービスマンの存在が不必要になったので7年半勤めたターミナルホテルを退職することに。そうこうしていると、当時、地元の若手シェフが集う“仏蘭料理研究会”に参加していたご縁で、創業1900年の広島の某老舗フレンチレストランからお誘いをいただきました。

そのお店に入店し、「サービスマンとして必ず広島で一番になる」を目標に掲げて張り切っていたところ、「サービスだけでは面白くないだろ。デザートを作ってみない?」とシェフに勧められたんですよ。最初は道具の使い方も手順も分からないので、今では15分で作れるムースに一時間かかるほどでした。12月のデザートを初めて任されて全部作った時などは朝6時半から夜11時まで奮闘したものです。

茶屋として創業以来、和食、洋食、フランス料理店へ変遷した歴史を持ち、クラッシックな料理だけにこだわらないこのフレンチレストランで沢山のことを学びましたね。このお店でマネージャーとして10年間修業したのち、一度店を離れて3年ほどイタリア食材店やイタリアレストランで働き、再びこの某老舗フレンチレストランへ復帰したのですが…。

向井さんの作る色とりどりのケーキや焼き菓子…日替わりでスイーツが盛りだくさん!

いよいよ独立ですね。さて開業までの道のりは?

向井さん

このフレンチレストランに戻って6年くらい経った頃、娘も就職して子離れできたし、300万円余り手元に資金もあったので「自分で店をやろう」と独立を決意しました。サービスマンの仕事にこだわって来た自負もあり、開きたいのはお客様に満足していただけるサービスが主体の店。料理の味だけを追求する料理人の考えるレストランはやりたくありませんでした。

中学、高校時代に暮らして愛着のある安佐南区で場所を探してみると、運よく“イオンモール祇園”近くの女性のための複合施設「森のアトリエ」の一角にハンバーガー店舗跡の居抜き物件が見つかりました。マックスで22席とれる店内は、前の店の木目調の内装を白に塗り替えておしゃれで新鮮なイメージを打ち出すことに。こうして、フランス語の「白」を命名した「カフェ・ブランシュ」をオープンしたのが2017年3月のことです。

店内は広くあたたかい雰囲気で、ゆっくりと会話を楽しみながら時間を過ごせます!

お店の特長や向井さんのこだわりを教えてください。

向井さん

東京銀座のフレンチ出身の女性シェフが料理を、わたしがデザートとサービスを担当して、旬の食材をリーズナブルに楽しめるフレンチコースを主体にランチやカフェメニューを提供しています。メーンターゲットはやはり女性ですね。質より量ではありませんが、地元の方に喜んでもらえるように料理にはボリュームも持たせているのでリピート率は高く、3割を超えています。

わたしの信条は、来店されたお客様に目の前にいる方との時間をのんびり、ゆっくり楽しんでいただきたいということ。料理は二の次で良いというか、特別な時間を満喫するために料理があると考えているくらいです。気軽に贅沢な時間を過ごしていただけるように皿の置く仕草一つから配慮の行き届いたサービスを心掛けています。

ランチ・ディナーともカジュアルフレンチをリーズナブルな価格で楽しむことができる!

オープンして5年目。これからのビジョンをお聞かせください。

向井さん

まずは、安佐南区や地元の方に「ここに、いい店があるんよ!」と思われる存在になりたいですね。それからが次のステップへのスタートだと位置づけています。来年には持ち帰りに特化した新店舗の開業も計画しているのでご期待ください!

ご近所の方や仕入れ業者さんを集めての感謝祭(カフェ・ブランシュ周年祭の模様)

これから飲食店を開業される方に先輩としてアドバイスがあれば。

向井さん

「こんな店をやりたい」という骨太なコンセプトを持って、決してぶれたり、曲げたりないように!最初はわからないことも多いはずですが、何か問題が起こるたびにある程度の対応が出来るようになります。常に新しいことを考えて、現状に満足しないようにしましょう。オープン後は、お客様が入らなくてしんどい時もあるはずです。どんな時もお客様ひとりひとりを丁寧に接客すること、これが何より大切かもしれませんね。

音楽会やお魚会食など定期的に楽しいイベントも開催されています(サックスフォーンカルテットの演奏会)

ジャックのひとこと!

ジャック

カフェ・ブランシュさんは、地域に根ざした店舗経営をされており、ご近所の主婦や大学生、若い女性の方を中心に絶大な支持を受けていらっしゃいます。お店の雰囲気やお料理、価格など、顧客層の「ちょうど良い」を意識したポジショニングを保ち、明確なコンセプトをお持ちです。
飲食ビジネスを安定させるためには、来店客を増やし、リピートしていただき、常連客になっていただくことが重要となります。お客さまが再来店するには、料理はもちろんですが、利用目的に合っていること、接客や店の雰囲気がとても大切です。向井さんホスピタリティ精神の接客が心地よく落ち着き、お店のあたたかい雰囲気となってお客さまに愛されるお店になっています。
定期的に開催されるイベントもお客さんに来店してもらう、きっかけづくりになりますね!

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