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札幌スープカリー 荒谷商店

代表取締役
荒谷亨さん

北海道で初めて知った感動の味!
本格的スープカレーを東広島へ。

丁寧にとった和風出汁にスパイスを加えたスープと存在感のある野菜、しっかりしたコクなのにあっさりした後味の“スープカレー”で人気を集める東広島市西条昭和町の「荒谷商店」。運営母体、アランカンパニー株式会社の代表取締役・荒谷亨さんの飲食業への想いとは?…ジャックが聞かせていただきます。

飲食業に参入されるまでの足跡を教えてください

荒谷さん

東広島市出身、1976年生まれの46歳です。西条町で生まれ育ち、ゴルフ部の強豪校だった広島電機大学付属高校~広島電機大学(※現・広島国際学院大学および付属高校に改称)へ進学。本気でプロゴルファーを目指していましたが、ゴルフ部の学生はプロの中四国大会のキャディーをするのが定例だったので、わたしも駆り出されたところ、プロの方の凄いショットや高度な技術を目の当たりにして、自分の才能の限界を肌で感じてしまいました。早々に夢を諦めて、大学卒業後はフリーターをしながら、お金を貯めてはシーズンに1~2回、大好きなスノーボードを楽しみに北海道へ出かけていたんです。

山の大きさも雪質も中国地方とはスケールが違う北海道ニセコのスキー場へ毎年足を運んでいるうちに現地の友人も増え、滑った後はラーメンかスープカレーを食べるのがスノーボーダーのルーティンだと教えられました。本場のスープカレーを初めて食べたのは忘れもしない30歳の時です。あまりの美味しさに感動しましたね。将来のことが頭をよぎるようになり、実は27歳から地元の工場に就職して働いていたのですが、次第に「自分はこのままサラリーマンを続けていてもよいのか」と思う気持ちが湧いてきました。そして33歳の冬、独立して自分が感動したスープカレーの店を開くため、北海道に移住して修業に踏み切ることを決意した次第です。

ガッチリと鍛えた荒谷さん…スープ作りは肉体労働です

本場の北海道で修業された当時のことをお聞かせください

荒谷さん

札幌に移住してすぐ、現地の友人にスープカレーの勉強に来たことを伝えると、カレー専門店の関係者が集う飲み会に参加することを勧められたんですよ。その席で「ウチの店でやってみない?」と声をかけてくれたのがスープカレーの発祥地である札幌を代表する人気店「SOUP CURRY KING(スープカリーキング)」のオーナーでした。

願ってもないお誘いをいただいて早速、KINGにお世話になることを決めたものの、わたしの場合は、調理に関しては包丁も握ったことがないくらい全く初めてですし、サービスの方もガソリンスタンドのアルバイトで接客をしたことがあるくらい。昔から思ったら行動に移すタイプなので特に不安は感じなかったけれど、何もわからないズブの素人とあって自分より年下の店長に毎日厳しくしごかれました。

食材本来の味わいを存分に引き出すよう、じっくりと下ごしらえをしています

修行は厳しかったのですね。修行ではどのようなことを学びましたか?

荒谷さん

当初、スープカレーを作る技術を身に付ければ良いと考えていたKINGの修業では、飲食業の奥の深さも学びました。飲食店は、調理の手際や味の良さよりも、対お客さんを見据えた店づくりや接客サービスなどプラスアルファの部分が重要―と教わったことは今も自分の経営理念としています。厳しいけれど恵まれた環境で3年弱過ごしたKINGの居心地はとても良かったのですが…。

実家の父が亡くなり、長男のわたしは「東広島に帰ってこい」と命じられました。色々、考えた末、1年だけの猶予期間を決めて、もう1軒違うスープカレーの店で修業することに。選んだのは席数が10席ほどで店主とわたしの2人で回す小さな店でした。広い店内で常時4~5人のスタッフを抱えていたKNGとは対照的な環境でしたが、小規模な店でも働いたことで、またひとつ勉強できた気がします。ひとまず、「本場での修業は終えた」との感触を得て故郷に向かいました。37歳の時のことです。

お持ち帰りも好評です!予約をしておくと前もって作っておいていただけます

東広島にUターンされて開業されるまでは?

荒谷さん

故郷に帰って来る前は、商圏規模の大きい広島市内に出店しようと考えていたのですが、わたしが北海道で4年間暮らしている間に東広島の街は目覚ましい勢いで発展しており、どうせなら慣れ親しんだ地元でやってみようと方向転換したんですよ。まずは、東広島を離れていた間の地域や飲食業のリサーチを兼ねて、地元の飲食店で働くことを決め、西条駅前のラーメン屋の門を叩きました。ラーメン屋を選んだのは、スープカレーの要となる出汁の取り方を勉強したかった意味もあります。

とんこつや鶏ガラを3日かけて旨味を抽出!さらに昆布とかつおの和風だしも加わります

スープの開発には時間がかかったのですね

荒谷さん

ラーメン店で培ったスープのノウハウも加え、スープカレーの試作品を作って北海道の友人に試食をお願いしたところ「もうオープンできるんじゃない」とお墨付きをもらったので、早く開業したくなり、店舗の物件を探したのですが、条件に合うところがなかなかみつかりません。結局、物件を探しながら店のレシピを完成しようと、西条駅前のラーメン店で1年弱務務めたあと、広島大学の近くのラーメン屋に半年ほど務めているうちに、今のスープに近い味が完成しました。

そんな折、西条市内の中心部の住宅街で閉店するイタリアンレストランの跡を居抜きで使える話が飛び込んできたんです。早速契約して開店準備に着手し、2016年4月、いかにもカレー屋的な横文字よりも漢字の店名でインパクトを出すべく、自分の苗字をそのまま名付けた「札幌スープカリー荒谷商店」のオープンに漕ぎ着けることができました。

しっかりとしたコクなのに後味があっさりとしていてクセになる味わい深いスープ

開業から丸6年を経て、今や東広島では有名な行列のできる人気店となった荒谷商店の特長や荒谷さんのイチオシメニューを教えてください。

荒谷さん

あっさりなのにコクの旨味が感じられる和風だしのスープが主役の6種類のスープカレーが基本メニューです。イチオシは、圧力鍋でしっかりと旨味を閉じ込めて、ホロホロやわらかくなるほどに仕上げ、バーナーで表面を焼いて香ばしくしたチキンレッグを丸ごと1本トッピングした「丸ごとチキンレッグのカリー」ですね。本場・札幌では、スープカレーは若い人の食べ物のイメージが強いのですが、ウチの場合はお子様から高齢者の方まで客層が幅広く、とりわけ、ご高齢の方に支持されています。日本一、ご年配のお客様が多いスープカレー屋かもしれません!?

具材がごろごろ入ってる「丸ごとチキンレッグのカリー」ボリューム満点でお腹いっぱいになりますね!

お子様や高齢者の方にも人気があるのですね

荒谷さん

あと、コロナ期間中に開始したテイクアウトもおかげさまで大好評です。実は、それまでテイクアウトは行っていませんでした。初めてスープカレーを食べる人が店の出来立てではなく、持ち帰りを食べて「こんなもんか、と思われたら嫌だ」と考えていたんですよ。ところが、実際に自分で家に持ち帰って食べてみると、店と変わらず美味しかったので販売開始することに。当店自慢の味をご家庭でも味わっていただければ!

現在、店は社員2人、アルバイト10人の陣容です。昨年5月に従業員の福利厚生面や、多店舗化といった今後の事業展開を踏まえて、法人化に踏み切りました。店名とは一転して、社名の方は、子供の頃のわたしのあだ名“アラン”を使った横文字にしております(笑)。

チキンの味わいと野菜の旨味、スパイスの香りも食欲をそそります!

これから飲食業界に参入される方に先輩としてアドバイスをお願いします!

荒谷さん

わたしの場合は、これまで「とにかくスープカレーがやりたい!」という熱意だけでやってきました。この熱は今も冷めていませんし、冷めるどころか、「東広島に続いて広島市内に進出したい」とか、「スープカレーにリンクしたカレーラーメンなど違う業態の店に挑戦したい」とか、熱量が高まるばかりです。

飲食に限らず、どんなビジネスも「好きなことをやりたい」と、ぶれることなく、強く思える人だけが、やり続けられるのではないでしょうか。まずは、自分が一番好きなこと、どうしてもやりたいことを明確にし、事業化するためにはどれだけの準備が必要か?を真剣に検討してみてください。つまるところ、“好きこそものの上手なれ” ですよ!

大きなしゃもじ!こだわいのスープを毎日、丁寧に炊き上げています

ジャックのひとこと!

ジャック

お昼時にはお店の前にいつも行列ができ、女性客を中心に、ご年配の方にも人気を誇る有名店です。広島では馴染みの薄かったスープカレーをヒットメニューにできたのは、オリジナルティー商品として確立できたこと、「お客さまに食べたてもらいたいや理由」や「通ってもらいたい理由」を的確に伝えることができていたからです。

テレビや雑誌などのメディアがきっかけとなり、爆発的にヒットしたそうですが、知名度を一気に上げる広告媒体として、それらを活用することは非常に効果が高いです。そのため、メディアに取り上げていただくまで待っているのではなく、自店をプレスリリースすることはとても重要です。積極的にテレビ番組や雑誌編集社へ向けて情報提供していくことで記事になる確立は格段に上がります。

荒谷商店さんの今後の店舗展開、とても気になりますね。
ジャックも応援しています!

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