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Boulangerie Chez GEORGES(ブーランジュリ シェ ジョルジュ)

店主
山本和也 さん

国産小麦と培養酵母を使って焼き上げる
フランスパンや焼き菓子で有名な人気店!

パン好きの間でも話題沸騰の東広島市西条にある「ブーランジュリ シェ ジョルジュ」。外はカリッと、中はしっとりともちもち、小麦の香りがしっかりすると評判の珠玉のパンを焼き続ける店主、山本和也さんのパン職人としての情熱や想いとは?…ジャックが聞かせていただきます。

 パン屋さんになったきっかけ?
「パン屋になったら、毎日好きなパンが食べられる!」

山本さん

東広島市出身、1978年生まれの44歳です。賀茂高校は公立の進学校で、勉強もみんな熱心でしたが、わたしはずっと野球少年で、高校でも部活は野球部でした。部活の楽しみの一つは帰りにパンを食べること。今は米派なんですけどね…(笑)。その頃、「パン屋をやれば毎日好きなパンが食べられる」と思ったのがきっかけなんです…。
特に夢がなかったのですが、サラリーマンではなく何か商売をやりたいとは思っていたのもあって、当時は珍しかった大阪のパン科のある専門学校へ入学しました。

インタビューに答えてくださる山本さん…まさに絵に描いたようなパン職人そのもののイメージが!優しい笑顔がステキです!

パンづくりは重労働。これも修業修業!と頑張り抜きました。

山本さん

そこで1年間、パンの基本やお菓子について学びました。卒業後は東広島にあるパン工房を皮切りに神戸や大阪のパン屋さんで働きました。
大阪で5年ほど働いた店は規模が大きく、デパートや駅にも出店、話題になったメロンパンの店もありました。そこは、今では考えられないような過酷な労働環境で、従業員も長く続かないほどの劣悪な職場でしたが、わたしはセントラルキッチンの工場長になるまで身を粉にして働きました。

「パン作りは肉体労働ですが、体力が続くまで働き続けたい」と山本さん

運命の人、パン職人の岩永歩さんに出会ったのです。

山本さん

そんな中で、パン好きに知られた名店、後に「ル・シュクレ・クール」を開業された岩永歩さんに出会ったんです。岩永さんはフランスから帰国され、しばらくの間、わたしの勤め先にいらっしゃいました。彼の作るパンは伝統的なパンをはじめ、当時のフランスで流行のパンもあり、とても斬新で強烈な印象を受け感動しました。
自分の甘さを思い知らされたというか、自分のふがいなさにショックで、今までのパンづくりに対する考えを変えるきっかけになりました。

自家製の培養酵母は、ライ麦をベースに水や小麦を継ぎ足して管理しているそうです

白血病が「仕事の虫」のわたしに、1年間の休みをくれました。

山本さん

岩永さんが独立する際、お声掛けしていただいたのですが、諸事情により泣く泣くお断りし、相変わらず工場長として忙しく働いていた頃、なかなか疲れが取れず、ある日、鼻血が止まらなくなったんです。あまりにひどいので病院に行ったところ、思いもよらない診断を告げられました。白血病でした。
結婚式の20日前のことで、結婚式も新居も全てキャンセルし、入院して白血病の治療に専念せねばならなくなりました。広島に戻り抗がん剤治療を1年間続けました。そんな時でもわたしは、死を覚悟するよりも「やっと仕事が休める。良かった」と思っていたんです。心配してくれた妻や両親、友人などに申し訳ないですね。

退院後も広島の洋菓子店で働きながら、5年間、通院を続けました。再発のリスクが低くなってやっと、岩永さんの「ル・シュクレ・クール」で働くことができるようになりました。岩永さんから製法はもちろん、仕事に対する姿勢や人としての振る舞い、食の担い手としての役割など、店舗経営を含め多くのことを学びました。

ブーランジュリ シェ ジョルジュさんの店頭前…入口はテラスになっています

「常に追求していく精神」こそ、わたしの学んだ岩永スピリット。大切にしています。

山本さん

病気もよくなって、自分の店を持ちたいと強く思うようになり、短期間でしたが、単身でフランスへ。そこで初めて「ル・シュクレ・クール」で培ってきたものが本物であったことを確信しました。
2015年の4月、地元東広島で「ブーランジュリ シェ ジョルジュ」をオープンしました。
岩永さんに学んだ「疑問やまだ余地があることは放っておかない、常に追求していく」精神は、ずっと大切にしています。

地元の農家さんや顔の見える生産者さんが作る加工食品、チーズやジャムなどもお店に置いています。自分が美味しいと思えるもの、自分で確かめて良いと思えるものを取り扱い、パンを通して豊かな食を伝えたい、お客さまの日常に寄り添えるお店でありたいと考えています。
「ル・シュクレ・クール」のコピーで自分のパンではないと葛藤した時期もありましたが、今は少しずつ風味を改良しながら、お客さまに喜んでいただけるようパン作りをしています。

バターと小麦の風味を十分に感じるサクサクで口当たりの良いクロワッサン!

オープン時に困ったことはありましたか?

山本さん

立地は時間をかけて探したのですが、駐車場では大きな問題が発生しました。借りた駐車場が少し奥まったところにあったため、ご近所にご迷惑をかけてしまうことがありました。警備員を雇ったり、看板を立てたりして対応して…思いもよらない出費で困りました。

お昼過ぎにはパンがなくなることも…人気のパンは午前中で早々になくなります

宣伝はどうしていますか?

山本さん

オープン時にはチラシを配りましたが、FacebookやInstagramなどのSNSでの告知が効果的だったと思います。農家さんや同業者、パン好きな方が発信者になってくれたおかげです。
また、パンはショーケースに入れて販売していますので、妻が作るポップや値札、接客なども好評です。

パン以外の食品が!他業種さんのジャムや味噌までも!?自分で見て触れて良いと思った商品を置いているそうです

今後の夢やビジョンは?

山本さん

地域に根ざしたパン屋でありたいと思っています。パン屋の仕事は重労働ですが、何とか75歳まで働きたいですね。そして、わたしが「ル・シュクレ・クール」で学んだように次の世代へパンづくりを伝えて、後継者を育てたいですね。また、恩返しとして地域に貢献できたらと思っています。

欲しいパンは前もって予約しておくと取り置きをしておいていただけます

これから飲食店を開業される方へアドバイスがあればお聞かせください。

山本さん

人のつながりを大切にすることはとても大切だと思っています。病気になったことで多くの人に助けていただきました。妻にも本当に感謝しています。
マルシェなどのイベントに出店すると、新しい出会いや生産者さんや他業種の方とのつながりも広がりますよ。

ショーケースにはチーズなどの乳製品も取り揃えてあります

おまけのエピソード

山本さん

店名の由来は、フランス語でパン屋を意味する「ブーランジュリ」、「シェ」はお店、「ジョルジュ」はジョージのフランス語読みです。名字が山本なのであだ名が、山本譲二さんの「ジョージ」でして…。日本語で「パン屋 ジョージの店」なんです。

山本さんをモチーフにした、帽子にメガネと髭のピクトが店頭入口の壁に掛かっています

ジャックのひとこと!

ジャック

ブーランジュリ シェ ジョルジュの山本さんは、若い頃から自分のお店を持つまでの長い間、さまざまお店で高いレベルのパン技術の習得や貴重な経験を積まれています。
最近は、短い期間で必要なことだけを効率的に学べば良いという風潮もありますが、若いときにできるだけ長く飲食業の経験を積むことは非常に大切です。若いときには、許されること、我慢できることでも、年を取ってからはできないことは意外と多いものです。
経験を長く積まれている方の多くは、困ったときのピンチに強く、アイデアに長けており、商品の引き出しが非常に多いように思います。
また、山本さんは、生産者さんや他業種の方とのコミュニケーションも大切にされ、地域に根ざしたお店づくりをされています。人のつながりを大切にする店舗経営は、とても共感でき参考になりますね!

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